2013年3月24日日曜日

震災の日。

悪夢のようなパンタナールを脱出し、夜行バスでサンパウロを目指しました。
その夜行バスに乗車した日が、2011年3月11日。
東日本大震災の日でした。

翌朝、途中のバスターミナルにてブラジル人のおばさんに声をかけられました。
「日本で大地震が起きたらしいけれど、あなたたちの家族は大丈夫?
 東京の方でも大きな地震があったと聞いたわ」。

ボニートを出てからずっとインターネットやテレビなどに触れていなかった私たちは
ここで初めて震災のことを知りました。
ふたりとも、実家が関東なので家族の安否を調べようとしましたが
バスターミナルでは国際電話が使えず、wi-fiも繋がりませんでした。

確かな情報を得られないまま、サンパウロまでバスに乗りました。
到着までの数時間が本当に長く感じ、景色が灰色になりました。

サンパウロに到着し、実家に電話をかけました。
幸いふたりとも、実家の家族は無事でした。

日本の現状が知りたくて、インターネットカフェで地震のことを調べました。
NHKで公開されていた津波の動画に、震えと涙が止まりませんでした。
一生懸命生きて、仕事をし、家族を築き、そんな人たちの生活が
一瞬で奪われてしまったこと。それがどんなに悔しくて悲しいことか。
しばらくはフラフラで何も考えられず、
日本の人たちがこんなに辛い想いをしているのに
自分はこんなところで何をしているのだろう、とそんなことばかり頭にありました。
旅行先にいることへの罪悪感もありました。

この時点で、旅行の帰りの日(チケットがもうある)まで
あと1週間ほどありました。
何もできないけれど一刻も早く帰りたい想いでしたが、
地震の影響でまだ日本行きの飛行機が飛んでおらず、
金銭的な理由でも、日本行きのチケットを新たにとることなんてできませんでした。

こんな状況の中で旅行を楽しむなんて到底考えられない。
でも、海外にいる自分が今できることは募金と情報収集くらいしかない。
帰りのチケットの日まで、旅行を続けるしかない。
せっかく海外にいるけれど、笑うことも楽しむこともできない。
でも泣いていても誰の役にも何の役にも立たない。

どうやって今このときに向き合えばいいんだろう。
旅行の目的も見失いました。
ただただ、ときが過ぎるのを待つ。そんな気持ちで、次の町へと向かいました。



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